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Blog 2017年11月

グローカル芸術拠テン

本日21日(火)から、

清水駅の目の前、

清水文化会館マリナート1Fギャラリーにて、

「グローカル芸術拠テン」

という美術展が開催されます。

この展覧会は日本、タイ、韓国の

美術系大学教員と若手作家による国際展です。

26日(日)まで。

10:00~18:00です。

私も出展させていただきました。

興味のある方、是非足をお運びください。

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静岡県文化プログラム『ARTORO』 第2回目

静岡県文化プログラム ARTORO

第2回「なぜこの場所に?」フィールドワーク

かなりの長文です。

(主観で書いているので間違った記述もあるかも・・・)



10月29日に行う予定だったフィールドワーク、

台風の影響で1週間延期しての開催。

11月5日、快晴。

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この日は登呂遺跡の田んぼの稲刈りが行われていて、

のどかな秋らしい雰囲気につつまれています。

でも、竪穴式住居の前をトラクターが通過する様は

ちょっとシュールでおもしろい風景です。



今回のフィールドワークの最大の目的は、

「登呂の人たちがなぜこの場所を選んだのか?」です。

午前と午後の2部形式で周辺を歩いて探っていきます。

講師は静岡大学の篠原先生と

伊豆半島ジオパークの鈴木雄介さん。


 

午前は11時スタートで登呂遺跡北側を散策。

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現在の登呂遺跡は当時の村のほんの一部。

当時は南北に長細い集落があり、

現在の登呂遺跡の東側には田んぼが広がっていたそうです。

今は住宅街です。

そんな田んぼが広がっていたあたりでまずは湧水を確認。

よく見ればあっちの家にもこっちの家にも・・・。

湧水の多さ、水の豊かさに驚かされます。

そして、車だとあまり気にしないけど、

歩くとゆるやかに窪んだ地形がよくわかります。

これは、登呂遺跡発見時の軍事施設の土地造成の名残。

いろんな時代が重なって今があります。



篠原先生からは、

このあたりに墓があったとか

川があったとか、

別の集落があったとか・・・

いろんな話を聞きながら、

弥生時代の風景を想像してみます。

午前は、高いところからも見てみようと、

SBS静岡新聞社17階のtembooにお邪魔して眺めてみます。

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意外と登呂遺跡と海が近い。

雄介さんから地形の成り立ちなんかの説明も聞きながら

自分たちの今いる位置を捉えていきます。

俯瞰で見ると、

登呂の人たちはいい場所を選んでいたのがよりわかります。
 

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その後、改めて地面の起伏や湧水を見ながら登呂遺跡に戻ります。

途中住宅と住宅の間に小道があって、

その奥に森林跡なるものが現れます。

どうやらこのあたりに杉林が広がっていたようです。

杉の木は山から運んでくるものばかりと思っていたけれど、

実はすごく身近な場所にあって、

住居のすぐ目の前から材料調達できていたのかもしれません。

この森林の範囲、いったいどこまで広がっていたんだろう?

気になります。



登呂遺跡北側をぐるりと一周して前半終了。

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ここまでだいたい2.4㎞、90分ほどです。


登呂遺跡にてお昼。

天気がいいので外で食べます。

日光と風がとても気持ち良いです。



午後ルートは登呂遺跡南側を散策。

海まで歩いてみます。

歩く前に雄介さんの用意してくれた地図を見ながら

ちょっとだけレクチャー。

現在の海抜が色分けされている地図、

大正時代の地形図、

浜堤(ひんてい)や自然堤防の位置がわかる治水地形分類図、

縄文時代の海岸線ラインがわかる地図、

安政東海地震による津波の浸水範囲がわかる地図等、

いろいろな地図を用意してくれてあります。

それらの情報を重ね合わせてみると・・・

おーなるほど!おもしろい!

それらの地図を片手に午後ルート出発です。



午前と同じで、歩くと地面の高低差がよくわかります。

むかーしは田んぼだったところは今は新興住宅地。

この周辺には神社とかはないので

昔ながらの祭はなかったのですが、

住宅地になり、人が集まるようになると、

有志が祭をはじめ、もう50年ぐらいつづいているそうです。

生きる上で祭は、人の和を築くのに不可欠なものかもしれないです・・・。

新興住宅地もいつもと違う角度で見ると結構おもしろいです。



碁盤の目のようなこの住宅街にも、

その昔遺跡(汐入遺跡)があり、

登呂の人たちが洪水で村が失ったとき、

この地に移り、そしてまた戻っていったらしいです。

しかも洪水があったのは3回。

その都度行きつ戻りつしながら、

登呂の村を立て直したそうです。

登呂遺跡からほんのちょっと離れたところにあった集落。

登呂遺跡と関係の深い集落。

この地の魅力、奥が深そうです。



住宅街を抜けると浜堤と呼ばれる丘上の地形が現れます。

ここからは海抜10mほどの登山です。

大正時代の地図を見ると、

浜堤に住宅街があったことがわかります。

(それ以外はほとんど田んぼ。)

浜堤に広がる住宅街は道も細く、曲がりくねっていて、

路地裏のような雰囲気が色濃く残っています。

このあたりは田んぼではなく畑になります。

一軒一軒の家も大きくなります。

頂上付近にある神社の地面は砂地であるのも大きな特徴。

この場所、改めてゆっくり歩いてみたくなります。


下山を開始し、海に向かって歩きます。


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海はテトラポットマニアにはたまらない場所です。

いろんな形、大きさがあります。

テトラポットがあるということは

それだけ波が荒いことの証明。

その荒波から陸地を守るためのテトラポットですが、

これが三保半島に大きな影響を与えているのも事実。

環境の変化は巡り巡ってどこかに大きな影響を与えます。



海沿いを抜けて、

自然堤防のあったあたりの住宅街を歩いていきます。

やはり細い道と大きな家だらけです。

こういう雰囲気の場所、結構残っているものですね。

この集落の中に白髭神社が建てられています。

白髭神社は水の神様、

水害から守ってくれる神様が祭られている神社で、

全国に267あり、そのうちの64が静岡、

さらにそのうちの41が安倍川の流域沿いにあるそうです。

この地もそれだけ安倍川の氾濫が脅威だったのでしょう。

災害から身を守るため、

少しでも高い地を選びそして村全体の安全を願う。

「生きる」という目的に、

「安全に生きる」というレイヤーが重ねられている感じです。

もしかすると祭などはさらに、

「豊かに生きる」というレイヤーが重ねられた事象なのかも。



登呂遺跡に戻る途中、

避難タワーの役割も備える建物を確認。

昔は少しでも高い地を定住地としていたのに対し、

現代は低地に住む代わりに、

こういう高い施設が不可欠になってしまっているのですね。



いくつもの災害を経て、

その都度淘汰されて残った場所なのかもしれないが、

「生きる」という最大の目的に、

安全と豊かさを重ね合わせた結果が、

この登呂の場所なのだと思います。


この純粋な「生きる」という敷地選びが、

現代の我々が忘れてしまっていることかもしれない。

「豊かさ」ばかりに目を向けてしまい、

肝心の「生きる」を忘れてしまっているから、

危険と背中合わせの場所に住んでしまう。

我々が家を建てる時の敷地選びで気にするのは、

駅から何分か、

スーパーはどこにあるか、

学校はどこにあるか、

金額が安いか・・・

そういう「豊かさ」だけを求めた社会的システムの中で選択してしまうが、

古代の人は「豊かに生きる」という視点で選択しているように感じます。

今だからこそ古代人に見習う視点、必要かもしれません。


そんなことを考えながらゴールに向かいます。

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午後ルートはだいたいこんな感じで終了。

およそ4.3㎞、120分ほどです。

登呂遺跡に戻ってから、参加者みんなで疑問と発見について話す。

みなさんいろんな意見があって、この時間もたいへんおもしろい。

各分野の専門家と一緒に廻るフィールドワーク、

とてもとてもとても贅沢な時間です。



これにて2回目も無事終了。

次回、3回目はこの土地の記憶を

地形と地層の模型をつくって再確認してみたいと思います。

鳥瞰で見たり、断面で地層を見たり・・・。

またいろんな発見がありそうで楽しみです。


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